おおきくなったら。〜子どもとは、大人になろうとしている人間、ではない。〜

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自分は子供のころ何になりたかっただろうか?

獣医さん?、動物園の飼育員?、蝶のコレクター?、そんな感じだったと思う。

今は?というと何故だか“言葉”や文章を書くことに惹かれている。

何の学校に行ったから、とか、そういったことで自分自身を縛りつけることなく、もっと自由になりたいと思うのだ。

息子が幼稚園の時、年長さんがおゆうぎ会で一人ずつ全員、“大きくなったら“

何になりたいかを言う、というのがあった。

消防士、警察官、お花屋さん、アンパンマン、様々な職業が並ぶ。

先生がイイ感じのピアノを弾いて、親はそこで絶対泣く、というか泣かされる。

子どもたちは、自分が“大きくなったら”何になりたいかを考えて来なければいけない。

息子も、彼なりに考えていたんだろう“大きくなったら”何になればいいのかなぁ、

と聞いてきたので、ぼくは即答した。

『おおきくなったら おすもうさんになりたいです。』

冗談だけど、半分は本音だ。

体が大きくなることに恵まれたなら、伝統文化を継承し、最高のエンターテイナーに

なるのが一番だ!

大きくなる→大人になる→仕事をする=職業という発想の流れ自体が何だか自由じゃないし、コントロールされている感が否めない。

大人になる=加齢だし、仕事をする=労働だ。

価値はあるけれど、どちらも痛みを伴う。

子ども向けシアターの勉強会をしていた時に知った海外の、(確かイタリアだったと思う)

児童演劇作家の方の言葉が甦る。

子どもとは、“大人になろうとしている”人間ではない、ただ人間である。

高齢者だって同じだ。

彼らは“人生を全うしようとしている”人間ではない、ただ人間である。

大人だって、いつまでたってもオトナになりたいし、子どもだってジンセイ

ちゃんと全うしたいと思っている。 

はずなんだ。

それなのに、ぼくらは何故だか先を急いでしまう。

何かを達成したいと“やっき”になって、時として今の自分をないがしろにしてしまう。

もったいない。

よし!じゃあパパが“おおきくなったら”

どんな瞬間であれ、それがじぶんのじんせいの“すべて”の中の一部である、と思えるようになりたい!

どうかな?

親の言葉って大事なんだなぁ。勉強します!

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そういうシステムでお金を稼ぐことをアフィリエイトと言うのですが、なかなか難しいけれど楽しいのです。

かのスティーブジョブズも愛読したという、アメリカに渡った日本人のお坊さんの本です。マインドフルネスという言葉を生み出したのもこの人、解りやすくてとても良いですよ。

座禅をしてみたくなった方はこちらもどうぞ!ぼくもこれを使って座っていますよ。

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