音楽で飯を食っていくということ

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プロになる。音楽で飯を食う。

かっこいいし、ずっとそこを目指してきたと言っても過言ではない。

みんなそうだと思う。音楽大学まで来てプロになりたいと思わない人

の方が少ないと思う。

だけれど現実本当に音楽だけで飯を食っていけるのはほんの一部の人だけだ。

それはおそらくもうトップアスリートになるのと同じ感覚なんじゃないかとも

思う。

ちゃんと音楽で生計を立てている仲間に会うと心底すごいなぁと思う。

なぜかって、それは音楽でもってちゃんと社会貢献しているという

証だからだ。

仕事を言い換えればそれは社会貢献ということなのだと、遅ればせながら

噛み締める。

宮沢賢治は作品の中で、百姓になれ、と言った。

それはすなわち社会貢献を第一に考えろ、ということではないのだろうか。

セロ弾きのゴーシュはぼくの一つの憧れなのだけれど、

作品のテーマには社会と個人という現代人の抱えるパラドックスが、

隠されたメッセージとして提示されている、と読むこともできる。

大好きな作品だ。

しかもこれが童話で、子供たちにそのメッセージを伝えようとした賢治の、

種蒔きをする百姓スピリットに尊敬の念を抱いている。

ぼくは介護職をしながらの音楽家だからプロとは言えないかもしれない。

けれど、医者で作家の人が居るのだから、介護士で音楽家が居てもいいと思う。

そして、微力ながら種を蒔くことはできると信じている。

たとえその種から飯を食うことはできなくとも、まあお新香ぐらいは食べれる、

と、思う。

お新香はやっぱりキュウリのきゅうちゃんがいい。

それによっていっぱい飯が食えるのだから言うことはない!

絵本だったらこれが一番好き。藤城清治さんの切り絵が美しい。

子どもに読み聞かせしたい一冊。

こちらもどうぞ。

飯だぞぉ〜

米だぞぉ〜 安い!

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